第七番札所 岡寺
岡寺の縁起

第七番札所「岡寺」の正式名称は「龍蓋寺」です。
開基となる義淵僧正が悪龍を法力によって池に閉じ込め石で蓋をしたという伝説から「龍蓋寺」と呼ばれていました。「岡寺」は「飛鳥の岡にある寺」という意の通称で、現在ではこちらのほうが一般的になっています。
岡寺の場所にはかつて「草壁皇子」が住んでいた「岡宮」がありました。草壁皇子とは天武・持統天皇夫妻の息子です。寺伝では天智天皇がこの草壁皇子と義淵をともに岡宮で養育したとされています。持統天皇の父が天智天皇なので、草壁皇子は天智天皇の孫にあたります。
義淵は平安時代の歴史書である『扶桑略記』に、両親が観音に祈った結果生まれた子どもであることが記されており、そうした話を聞きつけた天智天皇がありがたい子どもだということで義淵を引き取ったとされています。
草壁皇子は「岡宮」にいたのか
この縁起を読んだとき、草壁皇子が岡宮にいてそこに天智天皇が義淵を連れて来てともに養育したというくだりが気になりました。
『日本書紀』などの史料には草壁が「岡宮」にいたという記述はありません。この伝承が記されているのは岡寺や義淵に関する平安時代以降の史料が中心です。
ただ『続日本紀』には草壁皇子へ「岡宮御宇天皇」という追尊号が贈られたという事実が記されています。天平宝字2(758年)のことです。草壁は天皇に即位することなく若くして亡くなっていますが、おそらく孝謙上皇の意向を反映する形で天皇号の追贈が行われたと考えられます。
追尊号に「岡宮」という宮名が含まれているところから、草壁が「岡宮」とゆかりが深い=住んでいたと考えることもできるかもしれません。ただ岡宮が本当に岡寺の場所を指すのかどうか、という点など史実として明確になっているわけではないことも事実です。
ただ伝承として岡寺の場所には草壁の宮があり、そこに義淵がやってきてともに暮らしていたという内容はとても興味深いものだと思います。
拝観案内
- 入山料:500円
- 本堂内陣の拝観期間:毎年4月~12月/別途料金は不要
- 駐車場:岡寺駐車場は無料/民営駐車場は500円
本堂内陣への立ち入りは4月~12月の間であれば可能ですが、法要などを執り行っている際には立ち入りができなくなるそうです。1月~3月は随時法要を行っているため立ち入り不可となります。
内陣には本尊である如意輪観音坐像が安置されています。本堂の内陣外からもガラス越しに拝観することはできますが、やはり内陣に入って間近で拝むことをお勧めします。
なお私が参拝した際にはお寺が閉まる17:00ではなく16:00には内陣への立ち入りが終了していました。あまりぎりぎりの時間にならないようにしたいところです。

駐車場については、お寺が管理している駐車場がすぐ近くにありそちらは無料ですが、公式ページにもあるように狭く離合がしにくい道を進んでいく必要があります。
民営の「岡寺門前駐車場」もあり、そちらは500円(普通車)かかりますが駐車スペースは広く道も余裕があります。

こちらの駐車場からは境内まで上り坂を少し歩きます。有料/無料や道の険しさなどを考慮して駐車場を選んでください。
札所本尊
如意輪観音坐像

本堂内陣には「日本最大・最古」である塑像の如意輪観音坐像が祀られています。塑像とは「粘土など可塑性のある素材を盛り上げたり形を加えたりして彫像する技法」のことです。
- 像高:4m85cm
- 塑像
- 奈良時代
こちらの像は大きさもさることながら、六臂(六本の腕)の姿に造られておらず二臂で施無畏印と与願印の形をとっているところが特徴的です。
如意輪観音像といえば六本の手を持ち片膝を立てて思惟する姿の像が思い浮かぶと思います。代表的なのは観心寺の如意輪観音ですね。
観心寺如意輪観音について
リンク先の記事で書いたように、観心寺の如意輪観音は800年代中頃の作と考えられます。空海の思想が関わっていることは間違いないですが、こうした姿は密教導入によりもたらされたものです。岡寺の像はそれ以前の姿を表す仏像として非常に貴重な存在といえます。
私はこの像が本当に好きで…塑像の中では最も魅せられる仏像です。派手さはまったくないんだけど見ていると安らぐし気持ちが穏やかになるんですよね。いつまでもこの場所にいてほしいと思います。
空海作という伝説
岡寺の如意輪観音は、空海が「日本・中国・インド三国の土を使って造られた像」という伝承があります。密教導入後の如意輪観音は六臂の姿に造られることが多いので、岡寺像はそれ以前に造像されたということになります。
空海の思想が反映されている観心寺像が六臂の姿であることを考えると、空海が造ったのであれば「入唐以前」に造像したと考えるのが自然です。
入唐するまでの空海の事跡は以下の通りです(諸説あり)。
- 793年(20歳):槇尾山寺にて出家得度(私度僧)
- 804年(31歳):入唐
塑像の全盛期が8世紀前半であることも合わせて考えると、槇尾山寺で出家し山中での修行に入った793年以降、入唐するまでの約10年間のうちのわりと早い時期に造像したと考えられます。
ただ「日本・中国・インド三国の土を使って造られた像」というくだりが気になります。空海自身が土を持って帰ってきたのならば唐から帰国後の造像となりますが、大宰府にとどめ置かれその後は国家事業にも関わり忙しすぎる空海が造像できたとも思えません。土はすでに持ち帰られていたものを使ったと考えるほうが自然です。
というわけで伝承と空海の足跡を照らし合わせてみました。もちろん「空海が日本・中国・インド三国の土を使って造られた像」というのが伝承であることは承知しています。でももし史実だったならどういう可能性があるのかな…と想像するのがとても楽しいのです。
胎内に納められていた仏像
現在の本尊である如意輪観音像が安置される以前には、「金銅如意輪観世音菩薩半跏思惟像(重文)」が本尊として祀られていました。塑像の如意輪観音が造像された折、金銅仏の半跏思惟像を胎内に納めたそうです。
岡寺のページに写真が掲載されています
こちらの説明を読むと、仏師「稽首勲」による造像であることが書いてあります。第五番札所葛井寺の本尊千手観音像や第八番札所長谷寺の十一面観音像などを造像したことでも知られています。私は稽首勲についてよく知らないのですが、もし本当にこれらの仏像を手掛けたのであれば相当な力量をもつ仏師だったことになります。非常に興味がわく存在です。
なお胎内仏であった半跏思惟像は現在京都国立博物館に寄託されています。30cmちょっとの小さな金銅仏で丸顔で可愛い姿をしています。孝謙天皇の守り本尊であったという伝承があります。
御朱印・御影札


まとめ:季節ごとに訪れたいお寺
第七番札所岡寺について書きました。
- 本尊如意輪観音坐像は常時拝観可能
- ただし内陣への立ち入りは4月~12月の間(1月~3月は不可)
- 別途拝観料は不要
ということでした。
なお岡寺は石楠花や紅葉などが美しい寺院としても有名です。

8月に参拝したので緑のもみじですが、赤く色づく季節にも訪れてみたいですね。本尊如意輪観音の優しい姿を拝みに何度でも行こうと思っています。
以上で終わります。

