さまざまな歴史の舞台となった場所【長岡京市 乙訓寺】

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今は静かなお寺ですが…

乙訓寺説明板

京都府長岡京市にある【乙訓寺】。空海ゆかりのお寺、あるいは牡丹が咲くお寺として有名な場所でもありますが、派手さはなく静かなたたずまいの心落ち着くお寺です。

牡丹が咲く時期に花を見るために来る人が多いかもしれませんが、この乙訓寺はさまざまな歴史の舞台となった場所でもあるのです。

お寺の隣に無料の駐車場があります

乙訓寺駐車場
画面右の先が駐車場です

古代史に関わる伝承

継体天皇の宮があった(かもしれない)

天皇家の後継ぎが途絶えたために越前国から迎えられた、応神天皇の五世孫である継体天皇。継体天皇は大和に入るまでにさまざまな地を移り歩きましたが、『日本書紀』継体12年(518年)に都を「弟国」に遷したという記載があり、これが現在の乙訓地域であると考えられています。

寺伝では乙訓寺付近に継体の「弟国宮」があったとしていますが、具体的な遺構は確認されておらず実証されているわけではありません。宮の場所がどこであったのか確実な結論は出ていませんが、もしかしたら継体天皇がこの場所を歩いたのかもしれない…と考えると感慨深いものがあります。

大和に入る機会をうかがっていたであろう継体天皇がどういう思いでここにいたのか…乙訓寺にいるとそんな想像が掻き立てられてとてもわくわくします。

聖徳太子が創建した(という伝承)

寺伝では「推古天皇が発願、聖徳太子が創建」となっていますが、これはあくまでも伝承と考えられます。

『国史大事典』(吉川弘文館 1980.7)によれば、寺址の出土瓦は白鳳期を遡ることはないと推定され、また乙訓寺の文献上の初見は延暦4年(785年)のことだそうです(藤原種継暗殺事件)。後世の聖徳太子信仰の発展により「太子創建寺院」の伝承が付加されたと考えられます。

とはいえ継体天皇が宮を置いた場所という点から考えても乙訓地域が歴史的に重要な場であったことは間違いなく、そこから乙訓寺と聖徳太子との縁も生まれたのでしょう。実際に太子が関わったとは考えにくいですが、空海のみならず聖徳太子への信仰心がこのお寺に息づいていることは事実なのだと思います。

空海との関わり

乙訓寺境内の修行大師像
修行大師像

別当に就任‐早良親王の慰霊のため

空海と乙訓寺との関わりは文献上にも残されており史実として扱われています。

空海は唐から帰国後、入京許可の2年後となる811年に乙訓寺の別当に就任しています。これは桓武天皇の弟である早良親王の慰霊のためであるとされています。

乙訓寺早良親王供養塔
境内の早良親王供養塔

早良親王は延暦4年(785年)長岡京の造営中に藤原種継が暗殺された事件に関与したとして、ここ乙訓寺に幽閉されます。自らの潔白を訴えるため親王は絶食しており、淡路へ送られる際に命を落としました。幽閉の地である乙訓寺で親王の怨霊を鎮める。そうしたことが空海に期待されていたと考えられます。

同時代の空海伝説として楊谷寺の独鈷水があります

最澄との対面

812年10月27日には、最澄が空海を訪ねて乙訓寺にやってきたことがわかっています。最澄が密教の灌頂を受けることを希望したためでした。この依頼を快諾した空海は、その後高雄山寺(現在の神護寺)に赴き最澄に灌頂を授けています。

なおその後空海と乙訓寺に関する史料が残っていないため、空海は乙訓寺を離れたと考えられています。よって空海が乙訓寺にいたのは約1年ということになります。

空海と最澄という二大スターの対面がこの場所で行われていたわけですが、これからの仏教をどうしていくべきか、最新の密教の教えとはどのようなものなのか、きっと熱い議論が交わされたのではないかと思います。

のちにすれ違ってしまう2人ですが、私は2人の置かれている立場や密教に対する考え方の違いが表面化してしまったことであり、どちらが悪いということではないと思っています。

いずれにしてもこの地で空海と最澄が対面したことは事実であるので、「この道空海が歩いた…?」「最澄がここに座った…?」とか妄想がはかどります(笑)。感情が忙しくなる場所です。

なお現在の乙訓寺は元禄期に再興されたものなので、空海時代の建物ではありません。隣接する小学校の校庭に当時の講堂跡が見つかっており、空海が滞在した僧房跡も発見されているそうです。実際の最澄との対面は今は地下に眠る講堂や僧房跡付近で行われたと思われます。

嵯峨天皇へ献上した「柑子」

乙訓寺境内の「柑子」の木
境内のみかんの木

空海と嵯峨天皇の交流はよく知られるところですが、空海は乙訓寺別当であった時期に「柑子」を嵯峨天皇へ献上しています。その歴史と関連付けて、乙訓寺にはみかんの木が植えられています。

「柑子」は現在流通している一般的な「温州みかん」と比べると小さくて酸味も強いものだそうです。

牡丹はしばらくお預け

冒頭でも書きましたが、乙訓寺は「牡丹の寺」としても有名です。大体4月下旬から5月上旬にかけて見頃になるので、2026年4月下旬に見に行ってきました。

しかしここ最近は牡丹の花がうまく咲かないことが続いているとのことで、このような状況でした。

乙訓寺の牡丹が生育不良で咲いていないところ
普段は牡丹が咲いているところ

お寺の方に伺ったところ、花が再び咲くまで少しの期間が必要とのことでした。ここ数年は異常なまでに暑かったり大雨が降ったり…と異常気象が続いていることも要因なのだと思います。

残念ではありましたが、ちょうど重要文化財の特別公開を実施していたのでそちらを拝観してきました(別記事に書きます)。

牡丹についてはこちらのページで説明してくれています。自然が相手なのだから人間の思うようにはいかないことは当然あります。いつかまた見られる日が来ることを楽しみに、ゆっくりと待つ気持ちが大切だと強く思いました。

まとめ‐乙訓寺で歴史を感じよう

乙訓寺について、古代史との接点を中心に書きました。さまざまな人物が交錯する非常に興味深いお寺であることが改めてわかりました。

繰り返しになりますが、牡丹だけが目的の人は今は行かない方がいいと思います…。ここまで書いてきたように、乙訓寺は牡丹だけのお寺ではありません。そのことを楽しめる人はぜひ訪れてみてください。

はるか昔の人々の足跡を感じたい人には強くお勧めしたいお寺です。私もまた行きます。

以上で終わります。

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重要文化財公開について書きました

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